ぼんくら / 宮部みゆき

ぼんくら(上) (講談社文庫)

ぼんくら(上) (講談社文庫)

ぼんくら(下) (講談社文庫)

ぼんくら(下) (講談社文庫)

先日読んだ「誰か」以降、そろそろ時代物にも手を出してみようと思い立ち、買うだけ買って手を付けていなかった「ぼんくら」を引っ張り出しました。出版順に読むという点や短編集であるという点では同じく手元にあった「本所深川ふしぎ草子」が とっつき易そうではあったけど、がっつり本が読みたい気分だったので こちらを選びました。

読了後、何でもっと早く手をつけなかったのかと後悔する気持ち半分、既刊の現代物を読み終えても まだまだ時代物を楽しめるという気持ち半分。寝る間も惜しんで読みふけってしまいました。

ひとつの長屋を舞台に繰り広げられる様々なできごとが、最終的には ひとつの点へと繋がっていく構造は、宮部作品の十八番ですが、この作品では特に「長屋」という建物が とても魅力的に描かれていました。

ひとが生活している場所だから、そこには幸せも不幸も笑顔も涙もあって、住まう人々それぞれの人生がある。自分以外の人間の生活が、本当の意味で「隣」にあって、それを当然のように受け入れて生きていく。現代の一般的な住居 ―― 隣家との距離はもちろん、親と子でさえ それぞれドアで仕切られた部屋を割り振った生活では薄れてしまっている概念だと思いました。

宮部作品の「住まい」の描写は、丁寧で 不自然なほどに自然な事が多い。
それは そのキャラクタ自身の言動だけでなく、家が内包するもの(居場所や関係性)によって周囲の人間との関係性を少しずつ寄せ集めて人物の肉付けをする過程で、「家」という身体の外の「器」が とても重要な要素になるからだと思います。キャラクタを描く為に、コミュニティを捉え、遠回りで描く。それが徐々にひとつの形を成して行く方法は上の「十八番」の手法そのものなのですが、この一見まどろっこしい描写方法に、私は どうしようも無く惹かれてしまう。